暑いです。
梅雨はどこへ隠れたのでしょう・・・
175,200
いきなり、何だ!? ですが。。。(^_^;)
1日24時間、乗ずること365日、再び乗ずること20年。
生まれた子供が20歳になるまで過ごしてきた時間です。
意外にスッキリとキリがいい数字だな・・・と思いました。
一昨日の土曜日、長男が二十歳になりました。
遠い遠い先のコトと思っていた日でしたが、思いのほか早かった。
20年前1993年は記録的な冷夏でした。
梅雨明け宣言があったような、ないような。
夏があったかなかったか。
お米が不作で、輸入米・・・という年でした。
あ、皇太子と雅子様のご成婚の年でもありました。
6月生まれで、梅雨のまっただ中。
退院してきてからもずっと雨。
ストーブを焚く日もありました。
第1子だったので、妊娠中から育児本をかって予習しました。
バッチリだ!と思っていました。
妊娠中のトラブルはありませんでしたが
出産後に弛緩出血。
出産疲れと眠さで朦朧とする中、
看護婦さんたちの「大変!先生呼んでっ!」と慌てる様子はなんとなく記憶にあります。
おかげさまで子は元気。
標準サイズで泣き声はBIG。
赤ちゃんって、おむつを替えて、おっぱい飲んだら泣き止む。
そういうもんだと、思っていました。
いやいやいや・・・とんでもない。
何をしても泣き止まない。
抱っこしても延々と泣き続ける。
意志の疎通がままならない、我が腕の中の生物。
恐ろしい生き物にすら思える瞬間も・・・・まぁありましたよ。
泣き止まない赤子を抱いて、
ザーザーと降る雨すら泣いているように思えて
私まで泣けてきたこともありました。
正直に申し上げると、
外へポイッと捨てたくなることも、ありました。
抱き続けて手首が痛くなったりしたっけ~。
そんなエイリアンが、ニコニコ笑うようになると
途端に可愛さは増しました。
あやすときゃいきゃいと大きな声を出して笑う子でした。
天才じゃないか?と、親バカ全開になるのに時間はかかりませんでした。
赤子時代が嘘のように手のかからない子になりました。
検診では「こういう体育会系のお子さんはお母さんが大変だけど、頑張ってね」と言われましたが
第1子なので、この子以外を知らない私には何をどう頑張ればよいのか、わかりませんでした。
明るくて、元気で、友達にも優しいいい子。
幼稚園、小学校とも、そんな感じ。
対外的には。
小学校も高学年になると、荒れてきていたような気がします。
6年生の春休みに親子ケンカになり、夕方仕事から帰ってきたら家出をしていました。
心当たりのお友達のお家へ電話をしたら、ドンピシャ。(笑)
今夜は家に泊まればいいよ。
と、お友達お母さんの言葉に甘えさせていただきました。
中学入学後、一か月に満たない頃、
「(担任の)先生、ヤダ・・・。何でも俺のせいにする」
入学早々に校舎内を迷って移動教室に遅れたことをものすごく怒られてから
息子と一緒に遅れた友達と、ことあるごとに怒られていたようです。
今思えば、理不尽な説教に対して、文句の一つも言えばよかったのかもしれませんが
当時の私は、学校に逆らっちゃいけない・・と何も言えませんでした。
アイツ(担任)に仕返しする!
当時の長男の口癖でした。
「そんなことしても気は晴れない。世の中、自分の気に入る人ばかりじゃない。」
そう言い聞かせるしかできませんでした。
「この子は、卒業まで学校に行けるかなぁ・・・」となんとなく思いました。
ある日、目を赤くしながらボソッと言いました。
〇〇君、何回謝っても、許してくれない。 口をきいてくれない。
ちょっとした行き違いがキッカケで仲の良かったグループの子たちから口をきいてもらえないということもありました。
その時は、『気にするなよ。』と言ってくれた友達もいたので、
『心配してくれる友達を大切にしなね。1人でも心配してくれる友達がいて、よかったね。』
としか、言えませんでした。
その友達とは高校から別になりましたが、今でも長期休みに会っているようです。
中1,2年とトゲトゲしていた感じはずっと。
時期的にそうなのでしょう。
相変わらず担任は大嫌い。
月に1度は学校を休んでました。
朝になると微熱を出すんですよね。
そんな日は実家で仕事をしている私についてきて
彼にとっては「おばあちゃん家」で1日ノンビリ。
なんだ、オマエはまた不治の病か?(笑)
と祖父母にイジラれていましたが。
小学校から続けていたサッカーのクラブチームがあって、
合宿やら遠征やら何度も一緒に行って「同じ釜の飯を食った」気心知れた友達もいて
公文へ行けば、プリントもやらずに先生と世間話。
彼にとって吐け口だったのかな~と。
荒れてる真っ最中の頃に、
サッカーで腰を痛めたのがなかなか治らず、師匠のところへ連れて行きました。
彼にとって衝撃的な体験だったと思います。
「この部屋(治療室)の中の気になるモノを触ってごらん」と、師匠に言われ
ラジカセを触ったら腰が治ってしまいました。
きっと、彼が
スゲェ!
と思った大人の第1号は師匠だったと思います。
師匠の息子さんには勉強面でお世話になり、
イライラの消し方も教えてもらい、
3年になる頃にはすっかり、ツノも消えた気がしました。
3年間終わった。良かった。
ほっとしました。
中学の卒業式が一番、感慨深かったように思えます。
高校は・・・いいです。(笑)
親が不甲斐ないせいで、第一希望の進学先には行かせてあげられませんでした。
それが申し訳なかった。
「何言ってんの。これ以上ないベストな環境でしょ!」と、人には言われるものの
本人の希望とはちょっとね。違ったのは事実。
20歳とはいえ、まだ学生なので完全に終了とは言えないですが
それでも
終わった~! \(^o^)/
と、肩の荷が下りた気がしてます。(笑)
20年って、早いな~と思うと同時に
親の未熟さを補って余りある方々の『影なる支え』があっての20年だったと
初めて気づきました。
親が見せてあげられる世界なんて、ホントにごくごく一部。
いろんな人に会うコトで、また違う世界が見られる。
息子が二十歳になったという点での感慨深さよりも
周りのみなさまのおかげで、一人の人間を20歳まで育ててくることができた
たくさんの影なる人の支えがあってこそ、という点で感慨深いモノを感じます。
ありがとうございました。
今後とも、親子共々、よろしくご指導ご鞭撻いただきたくお願い申し上げます。
去年仕込んだ梅酒は二十歳のプレゼントで息子に引き渡しました。
美味しいよ~。(*^_^*)
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